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大和町 金剛寺

金剛寺(境内東西四十五間。南北五十五間。免除地)此町の西頬にあり。醍醐松橋無量寿院の末寺真言宗なり。宝珠山華蔵院と号す。昔は郭内米代(其地詳ならす)にあり。城郭修理の時この地に移る。開基の僧を長宥と云(草創の年月詳ならす)。応永十八年葦名盛久より耶麻郡慶徳組山崎村を以当山の寺領とし、院宇を修造し世世守護の祈願所たらしむ。故に其時の住職賢日をもて中興とす。永正のころ宥鑁と云僧再醍醐寺に登り密宗の奥旨を明らむ。葦名盛高深くこれに帰依し、又慶徳組岩沢村を寄附して寺料とす。天文中本山より僧正俊聡この寺に下向し灌頂を修行せり。天正のころ宥安と云者あり。始は高野山遍昭光院に住せしか、葦名家の宿老富田か一族なるによりこの寺の住職となる。伊達氏の乱を避て小田付組(耶麻郡)岩崎村大用寺に遁る。この時寺産を失ひ什宝も又多く烏有す。蒲生家の時今の地を開けり。本山大僧正堯円下向の時も当寺に寄宿す。今に至て会津真言四箇寺の一なり。安永中災に罹り今は庫裡書院のみにて再建いまた成らす。大日を本尊とす。又鐘一口あり。径二尺一寸。□宝永三丙戌年霜月天赦日当寺第十九世法印秀善欽白と彫付あり。
制札 門外左にあり。
宝物
貝多羅葉 一枚。小田町浄光寺にある所と完く同し。包紙に奉寄進多羅葉 元和第八十月廿六日 楊津別当法印和尚俊精御房前住屋島後住高雄龍厳上人とあり。
豊臣家神号 一幅 落款に秀頼書之とあり。
青面金剛 一幅
十三仏画像 一幅
不動画像 三幅 空海筆と云
金胎大曼荼羅 二幅 彩画最密なり。裏書に天文四乙未年に洛陽醍醐開山聖宝尊師直筆 土佐刑部大輔光茂をして模写せしむとありしと云。今は見えす。
菅天神画像 一幅
和漢朗詠集 一巻 伏見院宸筆
大般若十六善神画 一幅 土佐光茂筆
観音画像 一幅 牧渓筆
遊魚図 一幅 雪村筆
涅槃像 一幅 唐人筆
鐘馗像 一幅 雪村筆
山水屏風 一双 雪村筆と云伝ふ
弥陀像 一幅 慧鎮筆
妙沢不動像 一幅 自画自賛なり。落款に妙沢老人筆 施審中察侍奉持とあり。賛文如左(略)
和漢朗詠集 一部 尊道親王筆
紺地金泥華厳経 一巻 筆者知す
華厳経 一巻 空海筆
御成敗式目 一巻 鳥飼筆
歌書 一巻 心敬筆
十問最秘抄 一巻 兼載筆
墨画竹 一幅 東坡筆と云 賛あり(略)
源氏物語 一巻 為相筆
薬師像 一幅 空海筆
青面金剛 一幅 筆者知す
古筆 二巻 共に尊円親王筆
菅天神名号 一幅 同上
布袋画 一幅 雪村筆
磬 一枚 銘に阿仏持仏堂磬 大工伴貞吉 正応六年十月日とあり。懸る所の□に奥州会津若松宝蓮院大僧都旭栄造立之 慶長十五年庚戌正月吉日と書す(図略)。案するに当寺に宝蓮院と云号ありしことを伝す、又慶長中の住持に旭栄と云僧なし。宝蓮院旭栄とある、詳ならす。
古文書 四通(略)

 

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