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舌代 以前の田中伊賀仏具店の惹句のノリで

弊舗は、崇徳帝の大治五(一一三○)年、會津黒川(會津若松と呼ばれるようになるのは蒲生氏入部の文祿年間からです)の小田山の山麓に領主葦名氏の需めに応じ、長宥法印が金剛寺を開創されてより八五○年余を経た、昭和五十九(一九八四)年、金剛寺門内に創業されました。
当初は経帙の製造や、作務衣の制作等を致しておりましたが、平成九(一九九七)年の業務拡張に伴い、須彌壇や大壇・護摩壇、禮盤や脇机、厨子・四燈・手燭等々の制作も手がけるようになり、その上、竹製の華籠、香爐等の取扱もいたすようになりました。平成十年には會津三十三觀音の十九番札所であります石塚山蓮臺寺觀音堂建設工事の施工に當って、上記の品々の納入に高い評価を頂戴いたしました。また、平成十八年の南之薬師薬王寺の護摩堂建立の際も設計段階から御手伝いをさせていただくことができました。
弊舗のもっとも誇りと致しておりますのは、南都荒しの異名で名高い「三寳會」の御用を辱くしていることでありまして、かの四恩社(皆様ご存じのすべての佛具商並びにすべての関連商社は弊舗の下請けでありまして、間違っても弊舗が下請けではありませんので為念)も音を上げたという「三寳會スタンダード」を凌駕する高い技術水準には古くから定評がございます。長い開発期間を要した壇線を縒る道具もようやく完成し、平成十八年の秋、総本山長谷寺伝法灌頂の際は、宰堂孤嶋僧正のご沙汰を蒙り、長谷寺講堂で如法な壇線を縒ってご覧に入れることができました。
只今は真言宗豊山派事相研究所の御指導を頂戴しながら授戒会所用の法具、華盆・浣盆・淨布台・籌・籌箱・槌碪等々の製作に取り組んでおります。
どうぞ、大は堂塔の建立から小は念珠の修理(緒の修理のみです。房は直せません)まで、多少に不拘、御下命の程、宜しく願いあげます。

 

 

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